36℃の言葉。あなたの体温を伝えてほしい。 2014年度 日本福祉大学
第12回 高校生福祉文化賞 エッセイコンテスト入賞作品集
学長メッセージ
審査員の評価と感想
入賞者発表
第1分野 人とのふれあい
第2分野 あなたにとって家族とは?
第3分野 わたしが暮らすまち
第4分野 社会のなかの「どうして?」
学校賞
 
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入賞者発表
第4分野 社会のなかの「どうして?」
優秀賞 記録〜私の使命〜
盈進高等学校 一年 橋本 瀬奈

 高校生になって二回訪ねた場所がある。瀬戸内海の小島にある長島愛生園。
 そこは、一九三○年に開園したハンセン病者を社会から隔絶するための国立療養所。現在、平均年齢八三・八才の入所者二三六人が暮らす(※)。
 ハンセン病は、かつて“らい”と呼ばれ、蔑まれた。慢性の感染症で、手足や顔に障がいが見えることなどから、忌み嫌われてきた歴史がある。現在の日本では、完全に克服され、かつてこの病を患った人は元患者や回復者と呼ばれる。
 日露戦争後の一九○七年、一等国をめざした日本は、ハンセン病患者を国辱として「らい予防法」を制定(一九九六年廃止)。地域から徹底的にあぶり出し、愛生園などの人里離れた場所に強制的に隔離した。こうして国は差別を拡大、つくられた差別におびえた市民もまた、患者の排除に荷担した。二○○一年、終生絶対隔離法「らい予防法」は、違憲だと断罪され、国は過ちを認め、謝罪した。
 家族と別れた患者専用桟橋。持ち物も体も消毒された収容所。逃走したり職員に逆らったりした入所者が閉じ込められた監禁室。子どもをつくることは禁じられ、男性には断種、女性には堕胎が強制された。愛生園を歩きながら、悲しい歴史を胸に刻む。
 納骨堂。療養所は病院。なのに・・・そこには現在、三六九二柱が眠る。「もういいかい骨になってもまぁだだよ」。死んでも家族にも古里にも帰られない悲しみを入所者が詠んだ。国策を告発する強い怒りも読み取れる。
 入所者の金泰九さん。五月、お仲間が亡くなられたことを知らせると、萎えた手を静かに合わせ、目を閉じて涙を浮かべた。「いよいよひとりになったなあ」。
 私は思わず聞いてしまった。「金さんは、亡くなったらどこに骨を納めてほしいですか」。
 「故郷韓国と、愛生園の納骨堂。やっぱり古里に帰りたい。だけど、苦労を共にした仲間ともいっしょにいたい。そして、ぼくがここに生きた記録も残したい」
 知ってしまった義務がある。誤った歴史と生き抜いた記録は、私が伝える。今しかない。
 ※(二○一四年七月現在)

講評

 優秀賞ですが、最優秀賞と同じくらい高く評価された作品です。前半でハンセン病を徹底的に調べた内容を書き、後半は実際に訪問した施設で出会った人との会話を書いて、最後の結論に持っていく流れがすばらしいと思います。調べた内容やデータを書くだけではなく、最後の「私が伝える。今しかない」という強烈な決意が読む人の心に強く訴えることによって、客観的な情報を前半でしっかり書いたことが活きています。若い人が恥ずかしい歴史を直視して、胸を揺すぶられている心の動きや、力強い決意がストレートに伝わってくるいい作品です。

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