幼い時に身に付けた特技、またはその子の性質などは、年老いたとしても忘れないものだとよく言われる。そこに私はもうひとつ加えたいことがある。それは「幼い時に受けた感動は、大きくなった今でも感動を与え続け心の支えとなり続ける」というものである。 幼稚園の年中だったころ、私は喘息で長いこと入院していた。外に出られず、友達と遊べないうえに、不味い病院食ばかりを食べるという入院生活に嫌気が差したのだと思う。私はある晩、それらの不満を爆発させて癇癪を起こしたことがあった。小さな弟を抱っこする母と、困り果てる父を病室から追い出して、私はひとりベッドの上で泣いていた。泣き過ぎて過呼吸になるものの、先程両親を自分で追い出したため心配してくれる人もおらず、そのことがまた悲しくて泣いていると、そっと病室のドアが開かれた。 「お月様が綺麗だから、一緒に見に行こう」 母は両手を広げておいでおいでと、私を抱き上げる準備をした。 はっきり言って、月はいつもと変わらない月であったし、涙で滲んでよく見えなかったのだけれど、母は私を抱いて何度もお月様が綺麗だね、と私に言うものだから、あの晩のあの月を、私は未だ忘れることができない。 高校生になって知ったことだが、夏目漱石は「アイラブユー」を「月が綺麗ですね」と訳したのだそうだ。日本人にはそれだけで伝わるのだと言って。 あの晩、母は私に思いがけず「愛しているよ」と伝えていたのだ。小さな弟を構ってばかりだった母に対し私は不安を抱かずにはいられなかったのだけれど、母と二人、月を見あげて感想を(こぼ)すだけの母にあれ程の安心感に満たされたのは、もしかしたら私は母からの無意識の「アイラブユー」を受け取っていたからかもしれない。 あの晩の記憶を思い出すたびに、私は母からの愛に満たされ、大きな安心感に包まれるのだ。
ロマンチックなテーマを取り上げて、上手にまとめています。エピソードが具体的なので、情景が目の前に広がってきます。きれいな月を私たちも眺めているような気分になりますし、「母は両手を広げておいでおいでと、私を抱き上げる準備をした」という描写で、お母さんの気持ちや表情まで読者に伝わってきます。筆者もお母さんの愛情をしっかり受け止めていることがわかり、家族の温かさが感じられる作品です。